毎日状況をお伝えできれば良いのですが、どうしてもこの時期になると、苗作りや畑、田んぼのインフラ整備、と同時に機械整備、おまけにこどもたちの行事にも追われることになってしまいます。
今日は一週間ぶりの雨降りとなり、畦塗り機も故障のため外仕事はブルーベリーの植え直しに留め、少しこれまでの様子を記録しておきたいと思います。
冒頭のタイトル「田畑と向き合うことは、自分と向き合うこと」ですが、
これは、僕自身の体験から農へ向かうということは、自分自身の本来の感性へ戻すことなのかなと感じたことに端を発します。
社会や経済の一端になると自分の感性では「違うかも」と思うことも、社会的同調性や経済優位性などの理屈でその感性が発揮できない場合があります。
かつての就職体験からももっと自分らしい感性で生きたい。そう望んで選んだ選択が「農」の世界でした。それは「農業」という生業としての就職ではなく、人間本来の性質をそのまま生かせる生き方というような僕にとっては重大な選択でした。
そもそも余計なものが多すぎる現代。テレビもラジオも聞きたくない。雑誌すら見たいとも思わない。そんな感覚を覚えた20代。今振り返ってみると、そこで選んだことは土との対話でした。それは土との対話のなかに本質的な「生きる」が存在していると思っていたからなのかもしれません。
そうした感覚が今、「たそがれ野育園」として、たくさんの方にこの人間初歩的な感性を持つ喜びを伝えたいという動機になっていると思います。
さて、今季の野育園は従来通りマイ田んぼでお米を自給してみる体験に加え、キッチンファームとして自分たちの共同の畑を手がけ自給野菜を収穫体験するところまでを目標にしています。
2週に1度程度の活動スケジュールのため、おおむねこちらで作業の段取りは組んでいますが、作業日ではない日も「今日は何かできることありますか?」とメッセージをいただきます。この日は週末の馬鈴薯は種に向けた種芋の準備。家族でいらして子どもと一緒に種芋をカットしたり、は種作業を申し出てくれたりしています。
週末の作業日には大勢のメンバーが集い、ともに汗を流したり。
良い汗かいたあとは、子どもたちにも野外炊飯を手伝ってもらって、お庭でランチ。
ご飯を食べたあとは、思い思いの発想で自然遊び。野花の美しさにうっとりしてみたり、かと思えば無造作に花を集めお店やさんごっこになったり。食べられると知れば山菜採りに夢中になり、美味しいも美しいも楽しいも嬉しいもすべてがごちゃまぜに最高。それがたそがれ野育園だなと改めて思います。