小農で良い。小農が良い。

さかのぼること3ヶ月。ちょうどお盆の頃だったでしょうか。株式会社eumo代表取締役の新井和宏さんと株式会社ポケットマルシェ代表取締役CEO高橋博之さんがご家族連れで我が家を訪ねてくれたことがありました。

ポケマルの高橋氏とは飲んだら互いの鼻の先がくっつくほどの仲ですが、新井さんとははじめての出会い。日本を代表するトップランナーのお二人と共に過ごすことができて光栄な時間となりました。

ほんで、このあとたんぼと畑をご案内したあと、町村行ってシェアビレッジで過ごしたのですが、その時の対談が書籍になったと、同行して編集した廣畑さんから送っていただいたのがこちら

「共感資本社会を生きる」共感が「お金」になる時代の新しい生き方

新井和宏×高橋博之 ダイヤモンド社

対談本なのでスルスル〜と読めてサクサクっと僕としては感覚的に入ってくるんだけど、なんかちょっともやっとした感じの残るところが自分でも気になっています。それが何なのかはよく判らないので今は心のなかにしまっておこうかなと。

はてさて、このお二人が取り組んでいること。新井さんは時代が変わってお役御免になりつつある「円」に変わるお金でそれを刷新すること。博之さんは「食」への関わり方を変えること。それぞれのフィールドでできることをやっていくっていうところが良かったです。

そのなかで、「消費者」って費やして消す者。というところがあって、それってただ費やして消すだけやん。そうじゃなくて生産と一緒になって食を考えていったら、今まで生きてきた植物や動物の命、水や空気や土、生きてきたそのものを食べることが「消える」ではなく、その人の「生きる」に変わるんじゃいか。「生活者」になることが、これからの「食べる」だ。というような一節があって、共感しました。

おこがましい話かもしれないのですが、僕はまたこの二人とは違った考えがあって、農産物を売り買いできる「モノ」から自ら生み出す「コト」としての生産への介入を試みているつもりです。お金や売り買いはすでに必要がないコトになっているのではないかと思っていて、言葉にならないんだけど、あぁ、まだ時代が追いついて来ねえなぁという百姓のつぶやきにしかならないのかもしれないのですが…。


以下、この10年の振り返りです。

この10年で様々な課題やはじめての経験を繰り返すなかで、1年1作の「農(業)」という暮らしは本当に奥が深いものだと感じてきました。

そのどれをとっても先人たちに比べれば未熟というしかなく、自分たちは本当に未来に希望を与えることができているのかと不安になります。

他方、1990年に400万人だった農業従事者が2015年には200万人を割り、2040年には0万人となりうる絶滅危惧産業。耕作者の数が減れば一人当たりの耕作面積は増え、農家は大規模化し機械作業のオペレーションが増える一方、土との対話の時間が削られ、資本主義との同化を深める。

結局のところ資本に寄り添っていくことが今の日本の農業政策の一方的な筋立てです。そうしたなかで自分たちの立ち位置はどこにあるか、どこへ向かおうと言うのか、何ができるのだろうか。そのような問いが脳裏から離れることはありません。年々激しさを増す自然災害の数々を見るたびにこの問いは深く自分に返ってきます。

先日の台風で大きな被害に見舞われた宮城県のある集落でのニュースに目をやると、、、限界集落と呼ばれる過疎地で、土砂の流入や倒木を住民自らが重機やチェンソーを持ち寄ってライフラインの復旧をし、食べ物は皆が備蓄していたものを持ち寄り、自主自律の災害復旧ができた。

これは農的な暮らしを足元の基盤に置いていたなら当たり前なことだと思いますが、このような暮らしの基盤を持たない都市での災害時には何がどうなるだろうかという私たちへの問いでもありました。 

地域内の農業従事者の高齢化は益々加速し、資本参入による外国人労働力として雇用農業従事者が増えていくことも間もなく特別なことではなくなることでしょう。これまで培ってきた地域内の水理やインフラ管理が資金不足で滞ることもこれからは起こりうる事と思います。

大規模農場を管理する法人化された企業農業が借金を抱えて倒産、買収された農地はメガソーラーが買い上げて土地が改変され、ここに自然災害が人的災害を及ぼす事ももはや想定できます。

大災害は必ず起こるものという歴史経験からも常に自主防災の意識を緩めず、自立可能なエネルギーのライフラインをコミュニティ規模で高めていく必要があると考えています。

世界がAI化しコンピュータ管理される社会に移行する速度に合わせて、そのリスクに備える必要性は高まるだろうと思います。

無味無臭のバーチャル社会において人間存在の意味すら問われる21世紀という社会課題の多い未来ですが、これからも無限の土の生物、微生物、無生物とともに、家族や仲間と助けあい喜び合い、支えあって生きていく事ができたなら、小農なりに最大の幸福がここにあると信じて。

1970年代に書かれた守田志朗「小農はなぜ強いか」農文協 のなかで守田氏が定義した「農業は生活そのものなのだ」がこのような過渡期だからこそ小農の背中を押してくれる気がします。