2020年春から夏のまとめその1(水稲編)

前回5月末に記事を書いてから2ヶ月半、草取りに植え付けに忙殺されて、全く書くことができていませんでした(fbには写真と一言は掲載するようにしています)が、ようやく立秋を迎えたこの頃、田んぼの草取りからは次第に開放され、少しだけ気持ちに余裕を持てるようになってきました。気がつけばお盆。今年もハイパワーな上半期でした。まずはここまでの田んぼの様子を少し振り返ってみたいと思います。

田植えをしたのは5月20〜30日頃まで。今年は、種籾の状態が良くなかったらしく発芽不良も多く、例年同様散々な田植えでした。なかなか初歩的段階を攻略できないというのが12年目も根本的な課題です。

田植え前の不耕起水田

それに加えて毎年頭を悩ませている不耕起水田の田植え前の雑草処理です。不耕起と冬季湛水を合わせることで、春先の雑草を抑えるというのが、岩澤理論なのですが、冬の間中湛水条件を維持することで、下部地層や硬盤層の破砕が見られ、見かけではわからないのですが、田んぼ内部で大きく凸凹が生まれるようになります。それは、僕のところの田んぼの土質が重粘土、グライ質が強いからだと思うようになりました。コンバインや田植え機、トラクタなどの重い農作業機を入れるとどうしてもその深みにハマり、動かすことができなくなります。

そのため、冬季湛水については若干消極的になり、春先の雑草を抑制したいために湛水条件を維持するのか、機械が埋まらないように少し固い状態を維持するのかというハカリの中で、非常に迷いの多い管理をここ何年も継続してきました。例え雑草の抑制が完璧に行ったとしても、今度は機械作業ができないということも経験した上での悩みです。

今年も同じように悩み苦しんだ結果が上の状態です。中途半端な湛水条件では否応なしに春雑草が伸び盛り、トロトロ層も形成されていない…。この状態では当然田植えができないだろうとこれまでなら考えてきたのですが、今年は少し頭を柔らかくして田んぼに向かうことができました。この雑草を刈り取って、そのまま植えたら良いんじゃないか…。

ウイングモアで草刈り

ここまで考えもしなかった発想を思いつきました。伸ばすだけ伸ばして草を刈り込み、刈り取った草はマルチになるかもしれない。そう考えるのには理由があります。毎年、取れどもぬけども消えない雑草の種は、いつひのめを浴びるのかと土の中で休眠状態にしてその時を待ちわびています。土を天地返しして、今度は代掻きをして、除草機でまた土を動かして、土を返せば返しただけそのチャンスを人為的に作っていることになり、雑草種子の休眠打破をしていることになるからです。で、やはり不耕起理論の素晴らしい点として、「土を動かさないこと」が雑草の休眠を妨げない。ということにヒントがある気がしています。

さて、このモアで刈り込んだ水田がこの後どうなったかについては、一度置いといて…(その後少し状態を観察するために時間を置いてみる)、状態の良い田んぼでは、草も生えずにすぐに田植えができるものもありました。「状態が良い」とは、湛水のバランスが良く、水持ちも良く、田植え機が入れるほどの硬さのある田んぼのことを言います。この条件ができたところだけは苗が植えても良いほどの大きさにまで育った段階で、田植えができました。

「良い状態」が分かっていても、その状態を再現する力がなければ、農法として未熟です。研究室あるいは試験圃で確たる理論を得られたとしても、全て条件の異なる現場の田んぼで以下に、それぞれに違う手の掛け方をして植え付け環境を整えることができるか。これが、まず田んぼの、土づくりの基本的な条件整備だと思います。頭でわかっているつもりでもそれができないのです。

10年もやってきているので、この間に流石に僕もたくさんのことを学びました。ISEKIの6条不耕起田植機は植え付け部前に作溝部を施すためのロータリーのついた2重PTO式となっていて重く、埋まりやすい。近くで農家をやめてしまった人が使っていた歩行用4条を譲り受けたので、これで植えるようにして、まず「機械を埋まらせない」ことを優先しています。一人で農業をしているとブルーシートを畳むのも大変だし、大型機械を埋めてしまった場合は、近くの農家の先輩たちの手を止めて救出をお願いしなければならないことになります。だから、絶対埋めることが許されない。そういう緊張感の中で機械を扱っています。

歩行用4条田植え機(近所の農家から譲り受けた)

幸いこの歩行用の田植え機はうちの田んぼの土との相性が良いみたいで、結構なぬかるみがあっても、割と超えられるほどの軽さで、最悪埋まった時は、トラクタに代掻き用のハローをセットして引っ張るか、何人かで引っ張れば上がってこれます。そこまで行ったことがないので、一番安心して使えるマシンだと思っていますが、不耕起用の田植え機ではないので、表層の代掻きが必要になります。大きく天地返しはしなくても、表層5cmほどの植え付け部の土ができていれば良いので、そのために不耕起・代掻きという条件で田植え前の状態を作ります。不耕起=土を動かさないという理想からは離れることになりますが、今のところこうするより他ないからです。この場合は、土が動かしてしまっているので、一斉に雑草が発生してくることにつながります。

さて、そうこうして、苗の生育状態の良い、亀の尾、こがねもち、ササニシキを植え終わった頃でしょうか、最後のコシヒカリを植えている時に、10年愛用していたISEKI製の不耕起専用田植え機が田んぼの中で故障しました。植え付け部のクラッチが効かず、ハンドリングもままならないような状態で止まってしまいました。田んぼの中を引きずるようにしてどうにか脱出、検診。油圧シリンダーの破損で再起は難しいだろうとのこと。それもそのはず、すでにこのマシンは製造打ち切りで、部品を探すのも難しいとかねがね言われてきていたからです。もしかしたら、同じマシンや同一製造機からパーツだけ取得できる可能性もありましたが、あまりにもこの地域の土質との相性が悪く、常に危機一髪と一緒のため、僕もそろそろこの農法はダメかもなと思っていました。

一番最初に植えたこがねもち

この10年、様々な経験と発想を与えてくれた、日本に数十台しかないとわれる貴重なマシンで、製造番号10のエースナンバーも僕の大事な右腕であり、パートナーを失うことはとても辛い事でした。不耕起栽培を始めた頃、運よく中古が見つかって最上地方の山奥の農機具やさんまで行って、現物を譲り受けたことも今では、懐かしい思い出です。最上はあの93年の大冷害の被害をもろに受けて、全国の作況指数はせいぜい70とか80という不況だったけど、最上は一桁だったという語りを今でも忘れることがありません。冷害を機に生まれた不耕起栽培。教訓として改めて胸に刻んでおきたいと思います。

そしてグッバイ俺の友よ。機械にこんな感情を抱くのも変ですが、本当に切なくて、じわっと胸に来る時間でした。気がついたら運ばれていく相棒を見えなくなるまで見送っている自分がいました。

引きずる感情を無理やり胸に押し込み、その後の田植えを組み立て直しました。不耕起田植え機がなくなった今、最初のモアで刈り込んだ田んぼへの直接植えは不可能になってしまったからです。もう一度代掻き用のアタッチメントをトラクタに装着し、代掻きすることにして、最後は4条歩行田植え機でクリアしました。

このようにして、どうにかこうにか終えた今年の田植え、来年に向けての課題も満載です。まず不耕起田植え機を手放したので、これまでの不耕起栽培が不可能となってしまいました。(たそがれ野育園として手植えしている田んぼは今後も継続していきます)。

手元に残った4条歩行田植え機で田植えをするか、中古の乗用を探すか。除草は…すべての田んぼの手植えでやることはまず不可能?いやもしかしたらですが、冬季たんすいの条件をしっかり作って、草を出さない深水の田んぼを作れば除草が不要という意味でその方が良かったりするかも…。

この秋の収穫もまだなのに、来年への不安でいっぱいです。また1から田んぼを始めるつもりで、そこに向かって行きたいと思います。

三女が草取りを手伝う

6月いっぱいは機械による除草で2〜3周程を回り続けました。夏至を通過点に一日だけ休息し、その後は周囲の草刈りと大豆の除草、7月に入ってからの3-4周目は人力による株間の除草を施しました(今もまだやっています)。あれから、たちまちに一月経ってしまいましたが、ようやく、今年の田んぼも少し出口が見えてきました。来年のことを頭で考えつつ、まずは今年の米を無事に刈り取るところまでしっかりやっていきたいと思います。

今年は草取りにたくさんのメンバーが駆けつけてくれました。そのことは次の記事に書いてみようと思います。

草取り作業の応援部隊
記念写真
出穂間際の夕暮れとクモの巣
亀の尾の走り穂
出穂