今週末7/13(土)のたそがれ野育園では、宮城教育大准教授・山内明美さんをお招きして座学をやります。
山内明美さんとは「東北食べる通信」を通じて知り合い、2014年の「稲刈り騒動」の際にも心配して田んぼを訪れてくれ、同年の国民文化祭・秋田での「安藤昌益をみんなのものに!」の関連イベントで、講演していただいたという経緯があります。そうした契機を経て、明美さんが書いた「こども東北学」を読ませていただくことになりました。
以下、長くなりますが、「こども東北学」序文を引用します。
ー被災地のきみへー
いま、きみの目の前には、先の見えない地獄が広がっている。この暗がりの荒野を、生きる風景にかえてゆけるのは、絶望に足枷られた大人ではない。この風景を、希望にかえてゆけるのは、きみたちしかいない。
あの日。
きみたちが目にしたのは、とうてい言葉に尽くせない、苦しみの光景だったと思う。
あの日。
津波で流されていったひとたち、助けられなかった悔しさ、無念。津波のあと、潮の流れと一緒に無数の群れが渦を巻いていた海。そのひとりひとりが、町のどこかで顔を知っているひと。よく行っているお店の人だったかもしれない。テレビでも新聞でも伝えられない話。無残の広がり。北海道の沖合まで流されたランドセル…。
大津波を止める力をもったスーパーマンなんていない…爆発した原子力発電所を根こそぎ引っこ抜いて、宇宙空間へ持って行ってくれるウルトラマンも存在しない。
あの津波の日。
お父さん、お母さん、お兄ちゃんや弟、お姉ちゃんや妹、おじいちゃんやおばあちゃん、愛する人を失ってしまったきみ、あるいはそのひとは、恋人だったかもしれない。喪われただれかを想いながら、孤独の時間、膝を抱えて過ごしているきみ。そして、放射能の汚染から逃れて、家族とばらばらになって遠くの町で暮らしているきみも、仮説の家で暮らしはじめたきみも、そのちいさなからだの中に破裂しそうな痛みが広がっているのだと思う。
きみたちの未来は、すでに、壮絶だと思う。
この震災は、甚大地震と大津波だけでは終わらなかった。大津波は原子力発電所を破壊してしまった。ひょっとすると、きみのお父さんやお兄さんは、原子力発電所のなかで、いま、命がけで働いているのかもしれない…。
こんな世界にしてしまった大人たちを、許してほしいと、わたしには言えない。
そして、この先、きみたちにとっての東北が、いったいどんな場所になってゆくのか、とても気がかりだ。けれども、こんな過酷な世界にあってなお、手をつなぎあって、未来へ向けての一歩を、踏み出したい。そう、祈りながら…。
*
わたしの生まれ育った故郷もまた、廃墟の広がりになっていた。まるで爆弾を落とされた跡のような戦場だった。本当に何もなくなってしまったんだな、と思った。どこまでも続くがれきの中にひとり立ってみて。すっかり身ぐるみはがされた気持ちだった。刺すように空気が冷たくて、裸で凍えている、小さな動物になった気持ちだった。裸ならまだいいのかもしれない。この大津波の傷はもっと深いと思う。皮膚もはがされて、ところどこと肉が裂けて、血のにじんだ骨さえ見えているかもしれない。みんな、どんなに痛んでいるだろう。自分の痛みさえわからないくらいだ。きみたちが背負った、その傷は、たぶん、消えてはなくならない。くり返しくり返し、よみがえる痛み。その剥き出しになった傷の裂け目に、そのうえ、放射能がすり込まれている。もうとても抵抗などできそうにない。そんな絶望感が漂っている。
この震災は、人間のからだや心を繭(まゆ)のように柔らかく包んでいた表皮をすっかり引き剥がしてしまっている。みんなが痛みを抱え、苦しんでいる。こどもだけじゃない、おとなも守られたいと叫んでいる。
その痛みや苦しみ、無念さ、悔やみ…。この気持ちと記憶は、この先、長い時間、どこかをたゆたって、私たちの心の底に沈み込んでゆくのだろう。
どこへもやり場のない悲しみ、怒り。きみたちは、いま、その内側に抱えた苦しみやつらさを、だれかと分かち合えているだろうか。それとも、ただひとりで、じっと耐え忍んでいるのだろうか。
きみたちが生まれ育った東北という場所は、歴史の中で、くり返しくり返し、大津波や地震、豪雪や火山の噴火、飢饉に悩まされてきた土地でもあった。どんな運命なのだろう。そんな土地に、きみたちも生まれ、そして育った。
いま、きみたちが目の当たりにしている、荒涼としたがれきの光景は、たぶん、歴史のある時点で、この土地がくり返し経験してきた過酷さでもある。
わたしは、村々のおじいちゃん、おばあちゃんのむかし語りを聞いて育った。大雪や地震のこと。津波のこと。すさまじかった戦争。食べものもお金もない時代のこと、幼くして奉公にだされた話、家が貧しくて、学校へ行けなかった悔しさ。たとえ学校へ行けても、凶作のためにお弁当をもっていけなかったときの空腹のこと。そんな日は、お昼時間にちいさな娘を連れて、沢の水でお腹を満たしたこと。楽しいむかし語りもいっぱいあったけどれど、不思議に心に残ったのは、おじいちゃんやおばあちゃんの悲しみや苦しみいっぱいの話だった。
そのからだいっぱいに広がっているつらさを、あのおじいちゃんや、おばあちゃんのように、きみも語る日が、来るのかもしれない。
*
明美さんは、南三陸町出身で、故郷で起こった壮絶な災害を、「福島」としてではなく「東北」と位置づけます。
あの日、僕らがそれぞれの場所で経験し、感じたコト。
あれから8年の時間が経過しましたが、いま一度思い返し、僕らや僕らの子や孫がこの先に生きていく希望をシェアできたらと思います。
⚫︎7月13日(土) 山内明美さんの講義「こども東北学と生業世界」と座談会
9:00-12:00まで たんぼ&キッチンファームでの作業
12:00- ぬかくどご飯
14:00-15:30 山内明美さん「こども東北学と生業世界」+語らいの時間
会場:菊地家実家(潟上市飯田川和田妹川字和田11)
参加費:1,000円(一般)*野育園入園者無料
電話:090-3553-3756 kikuchi@tasogare.akita.jp
*参加される場合は、電話またはE-mailにてお申し込みください。
*ぬかくどご飯を炊きますので、一品お持ちよりでのご参加をお願いいたします。
【山内明美】
宮城教育大学社会科教育講座准教授。修士(学術)。専門は社会学、地域社会学、歴史社会学。自然災害の多発地域である三陸沿岸部の農漁村をフィールドに、「地域は如何にして、繰り返された災害を乗り越えてきたのか」を検証調査している。森‐里‐川‐海といった自然と生業を背景とする生存基盤、風土形成、人的ネットワークなど重層的な生存の仕組みを明らかにし、行政単位とも異なる流域圏をとりまく持続可能な地域について検討している。